アラフィフ女子のゆるやかな日々

ゆるやかにいろいろなボーダーを越えていきたいアラフィフ主婦のblog

寂しさとか、少しの希望とか

わたしには毎週楽しみにしていることがあります。

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このラジオを聴きながら過ごす日曜日の夜が大好き。

先週の日曜日も旦那とおでんをつまみながらラジオを聴いていました。訓市さんは今年の抱負をテーマに日本の未来や政治について語られていて、同世代のわたしとしては共感できることも多く興味深い内容でした。

そのお話の中で今年こそ自分たちの今いる場所を立て直しドラマチックに変化することが出来ないと未来は明るくないんじゃないかとおっしゃっていたので、わたしも「今年は選挙もあるし少しづつだけど変わっていくと思う」と旦那に伝えると、旦那は「そうかな。俺は変わらないと思う」と一言。

なんでそう思うの?変わって欲しくないの?と尋ねると「俺だって変わったらいいと思うよ。でもみんな目の前の生活に精一杯でそんなこと無関心の人が多いよ。自分の生活と政治が直結してるなんて思って生活してる方が少ないんだよ」と。

でもコロナで生活が大変な人たちがたくさんいるんだよ。その人たちだって変えたいと思ってるよと、わたしが言うと「みんな喉元過ぎれば忘れちゃうんだよ。原発の時だってそうだったじゃん。デモに参加してみんなで変えようとしたけど、結果何にも変わらなかった。」

だから自分は最低限の出来ることとして選挙には行くけどもう何にも期待しないし、言い方悪いけど自衛して自分たちの生活さえ守れればいいと。そんな旦那の話を聞いて彼のことがすごくつまらない人に思え、もの凄い寂しさを感じました。

暫くしてわたしはこの旦那に対する寂しさの正体に気づきました。それは旦那に対する期待だったのだと。わたしは旦那に対して自分の想いに共感して欲しかったし、これから先いろんなことに対して一緒に変化を求めて欲しかったのだと。

 

旦那がこんなことも言っていました。「デモに参加している時は自分の周りの人たちがみんな同じ想いで動いてるからひょっとしたら政権を変えられるんじゃないかと思ったけど、デモの行進から一歩外れるとそんなことには無関心な人たちばっかり。その結果が今の状況。無力感しかないでしょ」と。旦那もその時無関心な人たちに対して、無力感と強い寂しさを感じていたのかもしれません。

わたしに世界を変えることは出来ないし、もちろん旦那にも出来ません。だけど思考はその人の行動を変えることも知っています。あの時は変えられなかったけと、行動を起こしてくれた人たちをとても心強いと感じたし今でもありがたいと思っています。変えなきゃいけないという想いが増えればきっと良い方向へ向かっていくと思いたい。

こんな世の中だけどもう少しだけわたしは希望を持って前に進んでいこうと思うのでした。